第5の場面

「大人になれなかった弟たちに」 米倉斉加年


【本 文】

 ヒロユキは病気になりました。僕たちの村から三里くらい離れた町の病院に入院しました。僕は学 校から帰ると、毎日、まきと食べ物を祖母に用意してもらい、母と弟のいる病院に、バスに乗って出 かけました。十日間くらい入院したでしょうか。  ヒロユキは死にました。  暗い電気の下で、小さな小さな口に綿にふくませた水を飲ませた夜を、僕は忘れられません。泣き もせず、弟は静かに息をひきとりました。母と僕に見守られて、弟は死にました。病名はありません。 栄養失調です。  死んだ弟をおんぶして、僕は片手にやかん、そして片手にヒロユキの身の回りのものを入れた小さ なふろしき包みを持って、家に帰りました。  白い乾いた一本道を、三人で山の村に向かって歩き続けました。バスがありましたが、母は弟が死 んでいるのでほかの人に遠慮したのでしょう、三里の道を歩きました。空は高く高く青く澄んでいま した。ブウーンブウーンというB29の独特のエンジンの音がして、青空にきらっきらっと機体が美 しくかがやいています。道にも畑にも、人影はありませんでした。歩いているのは三人だけです。  母がときどきヒロユキの顔に飛んでくるはえを手ではらいながら言いました。「ヒロユキは幸せだ った。母と兄とお医者さん、看護婦さんにみとられて死んだのだから。空襲の爆撃で死ねば、みんな ばらばらで死ぬから、もっとかわいそうだった。」  家では祖母と妹が、泣いて待っていました。部屋を貸してくださっていた農家のおじいさんが、杉 板を削って小さな小さな棺を作っていてくださいました。弟はその小さな小さな棺に、母と僕の手で 寝かされました。小さな弟でしたが、棺が小さすぎて入りませんでした。母が大きくなっていたんだ ね、とヒロユキのひざを曲げて棺に入れました。そのとき母は初めて泣きました。  父は、戦争に行ってすぐ生まれたヒロユキの顔をとうとう見ないままでした。弟が死んで九日後の 八月六日に、ヒロシマに原子爆弾が落とされました。その三日後にナガサキに。そして、六日たった 一九四五年八月十五日に戦争は終わりました。僕はひもじかったことと、弟の死は一生忘れません。


【生徒のイメージ画】



【感 想】

・ 戦争がなければヒロユキは死なずにすんだ。戦争のない時代に生まれた僕たちは幸せだと思いま  す。 ・ 死んだヒロユキをおんぶして歩いた様子がとても印象的でした。空の様子がよけい悲しさをまし  ます。 ・ 歩いているとき母は、ヒロユキは爆弾でやられるよりは幸せだった。と言っていたが、本当は自  分に言い聞かせていたのが泣いたところでわかった。 ・ 歩いているのは三人だけですの場面で空の色が悲しみを増したり、人影もないので悲しみをかみ  しめる様子がわかりとてもかわいそうでした。 ・ 栄養失調で死なしてしまった我が子をおんぶしている母の気持ちはつらくてかわいそうでした。  私が母親だったらどうにかなってしまうほどかなしいです。 ・ 大きくなっていたんだね。の言葉に母の悔しい気持ちが込められている。育てることができなか  った悲しさもあると思います。。


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三本杉 祐輝
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